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皇室ゆかりの寺院である大覚寺

皇室ゆかりの寺院である大覚寺には、宮廷風の建築や皇室ゆかりの建物を移築したものが多い。伽藍の中軸線上には南から勅使門(唐門)、御影堂、心経殿が建ち、御影堂の東に五大堂、西に宸殿、宸殿の北側に正寝殿が建つ。これらの建物の間は屋根付きの廊下で結ばれている。伽藍の中心部に位置しているのは、本堂にあたる五大堂ではなく、嵯峨天皇ほかの歴代天皇が書写した般若心経を収める心経殿である点が注目される。

宸殿(重要文化財)‐東福門院(後水尾天皇中宮)の旧殿を移築したものと伝える。蔀戸(しとみど)を用いた寝殿造風の建物で、屋根は入母屋造、檜皮葺きとし、周囲に広縁をめぐらす。「宸殿」は門跡寺院に特有の建物名で、「宸」は「皇帝」の意である。内部は大きく4室に分かれ、中でも南側の「牡丹の間」の牡丹図と北側の「紅梅の間」の紅梅図の襖絵(ともに狩野山楽筆)は名高い(襖絵のオリジナルは収蔵庫に収められ、現在ここにある襖絵は複製である)。前庭には一面に白砂が敷き詰められ、右近の橘と左近の梅(左近の「桜」ではない)がある。
御影堂‐入母屋造、桟瓦葺き。伽藍の中心部に位置し、北側に建つ心経殿の拝殿のような役割をしている。この建物は大正天皇の即位式に使用された饗応殿を下賜され、大正14年(1925年)、後宇多法皇600回忌を機に大覚寺へ移築されたものである。堂内の中心部は北側に建つ心経殿の拝所となり、その左右に大覚寺にゆかりの深い嵯峨天皇、弘法大師(空海)、後宇多法皇、恒寂法親王の像を安置する。
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五大堂‐大覚寺の本堂。境内東側に位置する。天明年間(1781?1789年)の建立。当初は伽藍の中心部(御影堂前の現在、石舞台がある位置)にあったが、大正14年(1925年)、御影堂が移築された際に現在の位置に移動した。元来この堂の本尊であった鎌倉時代作の五大明王像は収蔵庫に移され、現在は松久朋琳・松久宗琳が昭和50年(1975年)に完成した五大明王像を本尊として安置している。堂は写経道場として用いられており、堂の東側の縁からは大沢池を望むことができる。
心経殿‐御影堂の北に建つ。大正14年(1925年)建立の鉄筋コンクリート造の小規模な八角堂で、壁面は校倉造風である。内部には嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇の直筆の般若心経を収蔵し、薬師如来像を安置する。内部は非公開で、開扉は60年に一度とされている。建物は国の登録有形文化財に登録されている。
正寝殿‐重要文化財指定名称は「客殿」。桃山時代建立の書院造建築で、内部は大小12の部屋に分かれる。「上段の間」(御冠の間)には玉座があり、後宇多院が院政を行った部屋を再現したものである。障壁画は狩野山楽および渡辺始興の筆。
霊明殿‐総理大臣を務めた斎藤実が昭和3年(1928年)、東京の沼袋(現・中野区沼袋)に建てた日仏寺の本堂だったもの。昭和33年(1958年)、当時大覚寺門跡であった草繋全宜(くさなぎぜんぎ)が移築した。縁板まで含め総朱塗りとした建物で、阿弥陀如来を本尊とする。
貴賓館‐秩父宮の御殿として大正12年(1923年)、東宮仮御所の霞ヶ関離宮(現・国会前庭)に建立されたもの。昭和46年(1971年)、大覚寺に移築された。非公開。
庭湖館‐江戸時代中期、大沢池畔に建てられた休憩所を明治元年(1868年)に移築したもの。非公開。
このほか、伽藍東側の大沢池周辺には護摩堂、大日堂、聖天堂、五社明神などの小堂や、昭和42年(1967年)建立の心経宝塔(多宝塔)などが建つ。

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2009年03月17日 09:27に投稿されたエントリーのページです。

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